雪が降ってますねー。5M位積もったらハッピーだけどそうはならないんだろうなあ。春風トンブクトゥです。
ちょくちょくブログでも書いてるように、僕は芝居をやってましてパンフに演出の言葉を載せるよう頼まれたんです。
で、深夜に息急き切って書いて送ったのはいいんですが、長すぎるってことでボツをくらいました。
せっかく書いたんだから誰かに読んでもらいたいってのとは別に、何故僕が売れない同人誌を作り続けているかにも関係している事柄なのでここに載せてみることにしました。mixiにも載っけるので既に目にした人もいるかも。
ちなみにこの文章を読んだ宣伝美術のやろーの要望によると「できるだけあっさりめでお願いします。さっきのが豚骨スープならポカリスエットでお願いします」とのこと。と言うわけで当日配るパンフにはポカリスエット的な演出の言葉が載ります。
えー、こんにちわ。『芝居狂時代』の脚本・演出・キャストのはるか…あ、本名でいいのか。■■です。
芝居の中でも役職でも一人で何役もやってますが、目立ちたがりだからではなく単純に人望がなかったからです。
今現在午前四時半でして、ちょっと眠いです。
それじゃあ最近僕が買ったマンガについて思うことをツラツラと書こうかと。いや、サークルの人達に怒られそうなんで今日は一応芝居の話にしておきます。
とりあえず今回の芝居は脚本がなかなかあがらなくて大変でした。本番の二週間前まで書いてました。もともと書くのは遅い方なんですが、芝居狂は特に遅かったかな。
理由は…特にありません。「まあそんな日もあるよねー」程度です。
いかんな、早くもグダグダだ。
あー、そうだな。皆さんは芝居好きですか?僕はまあ、普通くらいです。高校大学と他にやることもなかったんで続けていますが、芝居がない人生なんて…と言えるほどウェイトは大きくないです。
脚本書く作業はとにかくシンドイし、同じ本を一ヶ月以上も練習し続けるのもなかなかキツイです。元来飽きっぽいタチでして。おまけに人間関係は荒れるし陰口は横行するし(主に僕が言ってるんだけど)体調崩す子まで出るし……
それじゃあ何で芝居を続けてるの?そういう疑問をもつ方も多いかもしれません。
「表現したいことがあるから?」確かに今回の脚本は芝居か映像か、そこら辺じゃないとあまり面白くならなさそうな構成です。でもまあ、単に完成した台本があったから上演したまででそこまで表現したいことはないです。
「皆で何かをやるのが楽しいから?」たまに集まってやる分にはいいけど、一ヶ月毎日顔を突き合わせて稽古するのを楽しいと言い切るには抵抗があります。
「4時44分44秒?」現在時刻です。
とどのつまり僕が芝居をやっているのは、芝居が辛くて苦しくて、何より「苦い」からです。
脚本を書いている時の苦味はほんとうに耐え難いです。内臓を素手でびたびた触られているような不快感がずっと続きます。もしくは胃が空っぽなのに吐き気だけが続く感じ。
稽古中の苦味もなかなかのものです。その演技の何がいけないか分からないけど、なんかピンとこないということを手を変え品を変え役者に言い続けます。また、自分の演技にも納得がいきません。
本番中に、あの緊張感に飲まれてたまらず台詞を間違えてしまった時の苦味は手酷いものがあります。もっと練習をしておくべきだった。今更思ってももう遅いです。
苦い、苦い、苦い。越王勾践は屈辱を忘れないように玉座に肝を吊るしてこれを嘗めたというけど、そんなことしなくてもこの苦さを忘れることなどできません。
しかしこの苦さを感じる瞬間こそが、人生の中ではっきりそれと意識できる刺激を得る瞬間でもあるのです。
刺激のない人生など、延々続く平坦な道を自転車で走り続けるようなもの。確かに楽でいいけれど、やっぱり山やら海やら越えていかないと走ってる気がしません。「楽しさ」「爽快感」「達成感」などプラスの感情では一瞬気分が高揚してそれでおわりです。
この苦味が、身をよじるような不愉快な刺激が、自分が生きて世の中と関係しているのだと言うことを実感させるのです。
ああ、ツライ、シンドイ、苦い。乗り越えた先には次の締め切りが待つだけ。
それでも、この刺激が、水面にボチャンと石を投げ込んだような強烈な刺激が、自分がきちんと何かをしているのだと、世の中に作品を残せているのだと認識させてくれる。だからまた次の芝居に、小説に、同人誌に、取りかかるのだ。
とりあえず今は、そう思ってモチベーションを上げています。はい。毎回毎回自分を騙しながら創作活動に嫌々向かう■■の提供でお送りしました。本当に、何で俺いつもこんな辛い思いをしてんだろう。明らかに普通の人より創作活動を憎んでるよ。
あ、忘れていた。本日は芝居を見に来ていただきありがとうございました。「わかりにくい」以外の感想があれば後でそっと教えてください。では。
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